第5章 平戸焼誕生を考える
平戸藩が、いつごろ磁器物を作ろうと決定したのかを考察しようと思います。
上松浦党波多氏は、(1550年頃不明)朝鮮陶工を使い岸岳五窯にて、唐津焼(朝鮮産)として生産販売して莫大な利益を上げていましたが、豊臣秀吉に改易させられました。(1594年)
平戸藩は、後期倭寇の覇王王直と貿易を始め、(1540年)平戸城内に御殿を建てて王直を歓待しました。(1557年)王直は明で捕えられ処刑されました。王直のあとは李旦が後を継ぎました。
陶工巨関は、中国人であると私は考えています。(朝鮮陶工で平戸入場は40歳と文献にはあります)(1594年)
戦国時代の平戸藩は、財政政策のために磁器物を生産販売することが必要と考えました。時代は李旦のときであって、波多氏が改易される前のことであり、陶工巨関が20歳代であったと私は考えます。(1575〜85年)
出来上がった品物は、中国産として国内販売されました。中国人の手で磁器窯を作り、材料も中国より入手して生産していました。
平戸藩最初の磁器窯は、平戸中野窯とされています。発掘調査されていますが、調査結果としての報告は、曖昧な表現で終わっています。せめて、年代や、何を焼いていたのか、窯は中国のどこの窯と同じ作りをしていたのかを発表すべきです。
