第19章 平戸三川内焼と鎮信流茶道
平戸焼の目的は、莫大な利益を追求することで、平戸中野窯で生産された磁器物は、中国の景徳鎮磁器として売り捌きましたが、その考え方を変える社会情勢の変化が訪れました。
1630〜40年頃、それまでの武士社会は下剋上を繰り返し、武力のみが正義として大名、幕府を誕生させました。ところが武士とは何者なんだろう、そういう問いかけの時代が始まり、徳川幕府も揺るぎない世界を作っていきました。外様大名の平戸藩は、武士の世界をどのように捉え、戦のない時代の武士とは何かを考えて、武士団を次の時代へ導く必要が生じました。
平戸中野窯も秘密の研究を経て、量産と品質向上に目処がたち、徳川幕府としても、平戸藩に対して白い焼物を生産することに異議を唱える時代環境ではなくなったが、それでもなお改易の恐れを忘れることなく、用意周到に平戸が進む磁器の未来を茶道鎮信流が導いて指導する体制を築きました。平戸三川内焼は、職人が命を注ぎ込み世界の頂点を目指すことになりました。平戸鎮信流が求めたのは、これからの時代の武士は、人の手本にならなくてはいけません。そのために文化を尊び、教養を学び、民のために死ねる覚悟を潔しとし、禅の教えを尊び己との戦いを鎮独する、凛とした姿勢で生き抜くことでした。その精神は、平戸三川内焼のなかにも生き続けています。
鎮信流とは、平戸藩松浦家に伝わる武家一大名茶道の一派です。流祖は松浦家二十九代当主、松浦鎮信(1622〜1703年)です。それ以降、当代四十一代松浦宏月の代に至るまで、松浦家各代の当主によって継承されています。
平戸藩は、販売目的を捨てて武士として武士道精神を追い求め、鎮信茶道の指導を受け、将軍や天皇家の献上品作りに邁進しました。各大名に求められると、破格の価額で特別に販売しました。
一般には販売しなかった器のため、未だに理解されることなくベールに包まれていています。研究者も研究することなく、真実が追求されない焼き物、有田物語に翻弄された器が平戸三川内焼です。
