第18章 唐臼について

第18章 唐臼について

 肥前磁器の成り立ちを解き明かすためには、唐臼がどのようにしていつ伝わってきたかという問題を調べる必要があると思います。これがいつ伝わったのかについては日本側は分かっていません。分かっていることは、長崎の出島から伝わって、ちょうど1700年くらいに、隠元上人の文化事業や建築などとともに新しい技術を伝えていることくらいしか書いてありません。
 様々な主張があって、少なくとも50年の差はあります。有田の主張では、1610年くらいには焼き出していると言っていますが、これは明らかに間違っています。
 ここで重要なのが、景徳鎮や磁州では、どのようにしていたかを検証することです。私は、肥前地区においては景徳鎮や磁州を真似ているのではなくて、中国人の技術指導者が来て焼いていたのではないかと考えています。そして唐臼の作り方も、中国の技術者が来て作ったのだと、私は考えています。それが、日本が主張する1700年代ではなく、もっと前に焼いていたと思います。有田の南川原で、みんなが集まって焼き出したのだと思います。
 とにかく、唐臼の日本における正確な起源がはっきりと分かっておらず、中国側で何らかの記録などが残っていないか検証してほしいと思っています。それにより、今現在有田が主張している肥前磁器の成り立ちの過程の歴史が間違っていることが自ずと明らかになると思います。