実録 地域とつながるよそ者たち
私たちの活動を紹介していただきました。
月刊「地方財務」2026年7月号
編著者名 株式会社ぎょうせい
第8回 動かなくなった地域社会によそ者が風穴をあける
寄稿者 檜槇 貢(元弘前大学大学院地域社会研究科教授)
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早岐茶市(はいきちゃいち)
「早岐茶市」は長崎県佐世保市の早岐地区で安土桃山時代より毎年5月上旬から行われる「市」です。
その昔、交通の要衝であったこの地域で物々交換を行ったことがきっかけで開催されるようになりました。
この早岐茶市は、いにしえの時代から伝統と歴史を引き継ぎ今なお賑やかに行われています。
2026年早岐茶市
撮影日 2026年5月31日・日曜日
南蛮船渡来の地
長崎県指定史跡「南蛮船来航の地」
昭和16年1月17日指定
横瀬浦は永禄五年(1562)に南蛮貿易港として開港した。永禄四年(1561)、平戸でポルトガル人十数名の死者を出した宮の前事件が発生しており、キリスト教宜教師たちは平戸に代わる良港を探していた。イエズス会の宣教師ルイス・デ・アルメイダは西彼杵半島北端の横瀬浦の測量を行い、開港を領主大村純忠と交渉した。その結果、開港の条件として、ポルトガル船とともに入港する商人たちは関税を十年間免除され、神父たちの了解
なく異教徒が住むことは許されず、港の周囲ニレグア(ーレグアは約五キロメートル)の半分を教会が領有するものと定められた。
開港後、横瀬浦には教会が建てられ、キリスト教徒の集落もつくられた。
そして、仰と貿易をもとめて全国各地からキリスト教徒や商人たちが集まり、港は繁栄したと伝わる。また、クリスマスや復活祭などキリスト教の祝祭が盛大に催されたことが宣教師たちの書簡にうかがえる。大村純忠が洗礼を受け、日本で最初のキリシタン大名となったのも横瀬浦においてである。『日本史』の著者として知られるルイス・フロイス神父が日本での第一歩を刻んだ地も横瀬浦であった。
しかしながら、純忠の親キリスト教政策への反感と大村家の継嗣問題とが絡み、純忠の異母弟である後藤貴明を中心とした反純忠派勢力が永禄六年(1563)に純忠を襲撃し、横瀬浦は焼失した。
その後、南蛮貿易港は、福田を経て、長崎へと移った。開港した長崎では六区画の町割りがなされ、そのひとつは「横瀬浦町」と名づけられた。
西海市教育委員会
所在地 長崎県西海市西海町横瀬郷
九十九島遊覧船パールクィーン
長崎県佐世保市
西海パールシーセンターの九十九島遊覧船パールクィーン







